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「オリンピック1年程度の延期」について思うこと。

「オリンピック1年延期」が正式に決まりましたね。

ブログのタイトルに「時々、真面目な話」と銘打ってますので、かなり薄ーいことは承知で(笑)、僕の考えをつらつら話せればと思います。

 

3/22のIOC国際オリンピック委員会)の会見で、「大会の延期を含めた具体的な検討組織委員会などとともに始め4週間以内に結論を出す」と発表があり、それを待たずに、24日東京オリンピックパラリンピックの1年程度の延期が発表されました。

 

中止は過去5回あるみたいですが、延期は「初」とのこと。

 

IOCが「4週間待って下さい!」と言ったそばから、色んな人から苦情の嵐で、IOC安倍総理もてんやわんやであったに違いない。

 

延期も念頭にあったにしても、世界的イベントの「初」しかもネガティブな「初」はなかなか決断できなかったということなのでしょうか。

 

前代未聞のオリンピック直前のパンデミック

誰が、迅速に的確な采配ができるのだろうか。別に自民推しでも、安倍さん推しでもないですが、みんな厳しいなー、なんて思う今日この頃。

もちろん仕事なので、批判されても仕方ないとも思いますがね。

 

ただ、「アスリートファースト」ということでいうと、確かに4週は待たせすぎ、って感じもします。

 

「だまって練習しとけ!中止なら、それはそれまででしょうが!!」みたいな。

そうは言ってないけど、ネガティブに捉えると、そうともとれる。

 

でも、日本側の「やりたいからギリギリまでまとうよ。」っていう気持ちもわかります。当然の采配です。

 

もちろん、中止はもちろん、延期でもえらい負債を抱えるみたいで、経済的にも中止・延期してなるものかと必死なことは間違いないでしょう。

 

しかし、その「ギリギリまで待とうよ!」が、外国の首脳陣、選手達との関係がないばかりに、

ポジティブな理由(頑張った選手達のためになんとか開催したいから)ではなく、選手達にとってのネガティブな理由(どうせお金の為でしょうが!)っていう解釈にとられちゃったんでしょうね。

 

あと、「ギリギリ(期限)」の解釈の違い。

でも、誰のギリギリが正解?誰に従うの?って答えないような気がします。

 

なんだかんだ、土台に信頼関係があるかないか。

普通の人間関係と一緒。あの人が行ったことなら、いっちょ人肌脱ぐか!的な。

 

でもそう考えると、日本と外国の選手、オリンピック委員会(組織委員会)と選手達に強固な信頼関係が作られるとは思えず、そうゆう意味ではもめるしかなかったとも思います。

 

やっても茨、やらなくても茨。

この件について、僕もなんとも言い難いですが、

テレビのあるコメンテーターの意見には納得するところがありました。

 

そもそも、オリンピックは「何のため」にするのか。

五輪の輪=五大陸であり、五大陸世界中の人が、日ごろの政治のしがらみとか、考えの違いを超えて、スポーツを通して分かり合う、健闘をたたえ合う平和の祭典。

 

でも、今開催すると、「どこそこの国が行くんなら、俺、やめときますわ。」とか、「あいつと同じホテルにせんとって。」とか、「あそこの国ははずそーぜ。」とか。

 

それが科学的根拠があり、いわゆる正しく恐ている、ってやつならまだしも、

もはや一歩間違えば「いじめ」「差別」ですよね。

でも、そう思う選手達の気持ちも分からんでもないわけです。

 

いじめ・差別、「だめ絶対」は当たり前。

起こるべくして起こる「差別」がはびこる大会にはしてほしくないな、って一日本国民としては感じるわけです。そんな環境に目をつぶりながら開催するオリンピックなんてそもそもオリンピックと呼んでいいの?って思います。

 

なので、1年間延期って、総理大臣が決めたなら、僕は無力かもしれませんが、

それに向けて、できること、経済面ならできるだけ赤字が少ないようにとか、選手達のこと考えて、2020年に向けての選手達の努力ができるだけ無駄に、無為にならないように、前向きな議論が盛んに行われることを祈るばかりです。

 

「初」をどう乗り越えるか、世界中が大注目しています。

東京オリンピックの延期で涙を流す人が少しでも一人でも少なくなるような方法をみんなで考えていければ、なんてたいそうに思う今日この頃でありました。

 

 

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